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心理学の本棚のすみっこ

じょーの個人的なこと。

音声言語が苦手です

調子が悪い。

毎年のことなので、まあ、ことさら騒ぐことではないのだけど。

周りががやがやするのが苦手みたいで、年度末と年末にはそわそわする子どもだった。それはもう、小学生のときにはすでにそうで、そしてだいたいそのままアラサーになった。

はじまりとおわりのくっついている時期には、しゅういのひとの情報が濃い。じょうほうが、こい。

忙しくていらいらしたり、とっぱつてきなことにびっくりしたりしてるのだとおもうけど、非言語に発せられる情報が多すぎて、へやのじょうほうのみつどがたかくて、なんだか窒息しそうなかんじ。いきぐるしい。

というようなことをこどものころはもちろん意識することができず、自分もその瘴気に中てられてそわそわしたりいらいらしたりしていた。こどもなので我慢できずに行動化するんだけど、するとぜったいしかられた。

そういうわけで、年度末と年末は単にきらいだった。

おとなになったのと、ひとりで過ごせるようになったのとで、多少ましになったような気もする。とくに、年度末は、しごとじょううまくやらないといけないかんじなので、なんとかできるようになった。あったかくなってきて、きもちはすこし明るくなるじきだし。

しかし、年末は、いまだにだめ。

今年はなかなかひどくて、むねのなかかしずかになるしゅんかんがない。

しゅういに、うるさいひとがおおい。

とうとう、音声言語をじょうずにきくことがむずかしくなってきた。ことばのいみよりさきに、音声ににじみでているじょうほうの、感情だけやたらきこえてしまう。

まあ、きこえてくるのはだいたい、いらいらしたかんじと、おまえもいっしょにふこうになろうぜ、というよびかけと、言うことをきけというめいれいである。

そんなんわたしかんけいないし、とおもうのだけど、当然ながら言語で表現されていないことには反論してはいけない。おばけのみえているひとのようなもので、そんざいしないものに反応するときみわるがられる。

そんなわけで、おんせいげんごはにがてである。

おんせいげんごにつかれて、しょうがないなーとおもっておうちに帰ってすこし小説などをよんだりする。ことばからにげて、ことばのもとへ。

結局そのへんは業のようなものだな、とおもいながら、言えもしないことを、ぽちぽちと、こんなところへ。

つくづく、おもたい生命体であることよ。