心理学の本棚のすみっこ

じょーの個人的なこと。

その信号で、私は一度も停まったことがない。

通勤経路をマイナーチェンジした。

行きのルートは以前と同じままだが、帰りのルートだけ変えた。

行きのルートは、道幅が広いけど信号がいくつもある。対して、ちょっとだけ変えた帰りのルートは、道幅が少し狭いが、信号が少ない。

その、帰りのルートには、変な信号がある。

いつも青なのだ。

青だから、通り過ぎてしまうのだけど、少しスピードを落として見てみると、どうも、交差する道が細い。一方通行か、それに近い運用の生活道なのかもしれない。

 

ところで、引っ越してきてまだ3ヶ月ほどなのに、またしても、疲れてしまってギリギリな人の拠り所として機能しはじめてしまった。

なんだかしんどそうで、私も話を聴くくらいはするのだけれど、基本的にはしてあげられることは他になにもないし、というか場合によってはあんまり共感できてない部分もあったりする。

なぜ共感できないのかといえば、単に私が、そういうふうな状況にはなったことがないし、これからもならないだろうという予感があるからである。

なんというか、そのしんどい人のしんどい状況というのは、「小さな選択の結果そうなってしまったもの」という部分があるのだけれど、その「小さな選択」のひとつずつを説明してもらうと、「なぜそっちにしたの…」という感想しかわかない。もちろん、その人の選択も、その人が選択しなかった方の答えも、べつに世間一般から大きく離れるものではない。が、「私だったらどこかで絶対あなたとは違う選択をするから、あなたのような状況にはならないね」と思ったりする。

もちろん、そう思うことと、その人を心配することはべつのことなので、何か問題があるわけではないのだけれど、そういうのは、私の停まったことのない信号、にちょっと似ていると思う。

私が止まったことのない信号で、赤を見ている人もいるのだ。

そして逆に、私がよく引っかかる信号で、赤を見たことがない人もいる。

そういうものなのだろう、と思う。そして、赤を見ている人から、今日の夜は「話聞いて」というヘルプメールがくるのかどうか五分五分だな、と思いながら、とりあえずコーヒーでも淹れましょうかね。