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心理学の本棚のすみっこ

じょーの個人的なこと。

カウンセリングは魔法かもしれない。

なんか、脳系の勉強してる…。

前世で何があっての因縁かさっぱり想像がつかないけれど、なぜか自分には、「心理学をくまなく勉強する宿命」みたいなものがある感じがする。

好きでやってるときもあるし、仕事でやってるときもあるんだけれど、とにかく、心理学をかなり手広くやっている方であるっぽい。(そしてそれはそんなに苦ではない。)

 

最近は、脳らへんのことをやってるので、今日はその雑感など。

 

まず、自分の来歴として、心理カウンセリング学科~社会心理学で卒論~青年心理学で修論・博論~いま何者…?というのがあるんですが、勉強すればするほど、カウンセリングってなんなのか、こころってなんなのか、という問いに、自分なりの答えを出せるようになってきた感じがあります。

 

こころというのは、脳が生み出すいろいろの、現象的な部分なのだな、と最近思いました。

影絵の、影がこころ、手が脳、って感じ。

脳では分子とかなんとかがごちゃごちゃ動いているわけなんだけど、それは気持ちとか考えという、心理現象として現れるんですよね。

ハードに勉強したら、脳がたくさん動いているわけですが、そのときに、「いますっごい海馬働いてる!!!ウオオオオ~~~!!!」って感じられないですもんね。「いっぱい勉強して、頭がこんがらがるよう」くらいですよね、せいぜい。そして、この場合、こんがらがる、というのは、こんがらがる感じ、なので、何かの気持ちですよね。

そういう感じで、本当はどっかの血管の拡張とか、どっかのシナプス間隙でなんかヤバい物質がドバドバ(ドバドバって言っても脳のレベルなので超少ないはず)してるとか、そういう物理的な動きはあるものの、そういうのもわたしたちは、愛とか恋とか鬱とか神とか、そういうふうにとらえるんだよねえ。

いいなあ。文系だなあ。人類皆文系。

そんでもって、カウンセリングというのは、神経の塊であるところののクライエントと、神経の塊であるところのカウンセラーが、物理的に触れ合うことなしに、クライエントの神経構造に変化を与えようとする一連の過程なんですよね。その方法は言語だったり絵画だったりするわけですが、基本的にはクライエントとカウンセラーって手をつないだりハグしたりしないじゃないですか。けど、カウンセリングという一連の流れが終わって、うつ病のクライエントが薬なしで社会復帰できました、というとき、脳の中では何かの変化が経験されたわけでしょう。

魔法だよねえ。

 

というようなことを考えていました。今日。

 

ところで、人間の神経だけ抜き出すと、なんかクラゲっぽくなるのかな、と思ったんですが、どうなんでしょうか。脳から神経がもわもわぶら下がってるんだから、クラゲっぽいよね。

そして、そういうクラゲみたいなわたしたちが、手をつないだりセックスしたり歌をうたったりごはんを食べたりしながら、末永く仲良く暮らすんですよ。想像を超えるほどの不思議と幸福だよね、それは。そして、理解を超えるほどの愛おしさがある、そういう生命現象は。

 

勉強すればするほど、新しい見方が増えていくように感じます。思考が居着かないようにするためには、ひたすら本を読むしかないのかもしれない。

わたしは心理学を学ぶということは、やっぱり魔法を学ぶことと同じだと考えているふしがあって、その業とそのロマンでもう10年くらい遊べているので、毎日毎日楽しいです。

そういえば、本とか映画とかに出てくる魔法使いの部屋って、大体本棚に本ぎっしりだよね。

わたしももうすぐ魔法が使えるようになるのかもしれない。

 

 

脳科学の教科書 神経編 (岩波ジュニア新書)